毘沙門天(びしゃもんてん)を簡単に
- 毘沙門天とは、四天王のうちの「多聞天」がソロ活動をしたもの。
- 戦いの神でありながら、福の神でもある。
- 手にのせた「宝塔」がトレードマーク。
1.毘沙門天とは
毘沙門天(びしゃもんてん)とは、四天王のうちの「多聞天」がソロ活動をしたもの。
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多聞天(たもんてん)を簡単に 多聞天とは、仏教の守り神である「四天王してんのう」のリーダー。 お釈迦しゃかさまの教えを広める役割を担う。 高く上げた「宝塔ほうとう」がトレードマーク。
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毘沙門天(多聞天)は、もともとはバイシュラバナという名のインドの神さまであり、財宝と幸福を授ける神として信仰されていました。
仏教に取り入れられてからは、四天王のメンバー(多聞天)として、世界の「北」の方角を守る役割を担うようになります。
四天王のリーダー格でもある多聞天は、グループを飛び出して単独で活動することがあり、その際は「毘沙門天」という名前に変わります。
毘沙門天は四天王の中でいちばん強いことから、平安時代(794~1185年)以降、勝利をもたらす戦いの神としてまつられてきました。
とくに戦国武将からの人気が高く、源義経、武田信玄、上杉謙信などからあがめられていました。
その一方で、バイシュラバナの性格を受けつぐ毘沙門天は、「富」と「幸運」をもたらす福の神でもあります。
そのため、室町時代(1336~1573年)以降、七福神のメンバーにも名を連ねるようになります。
2.姿かたち
毘沙門天像には、以下の2つのタイプがあります。
(1)一般的な像
姿かたちは、多聞天とほぼ同じ。
武将のように甲冑に身を固め、敵をにらみつけるような忿怒相をしています。
高く上げた手に宝塔をのせ、もう片方の手で宝棒または三叉戟を持ちます。
背後では円光が輝き、両足で邪鬼を踏みつけています。
(円光がついていない像や、岩座に乗っている像もある)
(2)兜跋毘沙門天
毘沙門天の別バージョンとして、神に支えられて立つ姿をした兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)があります。
「兜跋」とは、中国の唐時代(618~907年)に実在した国の一つ。
兜跋国が敵に攻め落とされそうになっていたとき、お坊さんたちの祈りによって兜跋毘沙門天が現れ、敵を撃退して危機を救ったといいます。
服装や持ち物は(1)のタイプと同じですが、邪鬼や岩座に乗らず、地天女という神さまに支えられて立っています。
3.毘沙門天のなかま
(1)七福神
(先ほど書いたように)毘沙門天は、福の神として知られる七福神(しちふくじん)のメンバーの一員です。
七福神には、毘沙門天のほかに以下のメンバーがいます。
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(2)そのほかの仲間
毘沙門天には、以下の家族がいます。
- 妻
・・・吉祥天 - 子
・・・善膩師童子(賢い子ども)
また、毘沙門天は
のメンバーの一員でもあります。
4.ご利益
5.有名な像とお寺(神社)
- 毘沙門天立像/一乗院(茨城県那珂市)
- 毘沙門天立像/最勝寺(栃木県足利市)
- 毘沙門天立像/願成就院(静岡)
- 毘沙門天立像/鞍馬寺(京都)
- 兜跋毘沙門天立像/東寺(京都)
- 毘沙門天立像/朝護孫子寺(奈良)
日本一ビッグな毘沙門天像
日本三大毘沙門天
「最勝寺」「鞍馬寺」「朝護孫子寺」の3つのお寺は、日本三大毘沙門天として知られている。