日本でまだ巨大な古墳がつくられていた6世紀に、朝鮮半島から伝わった仏像。
その姿かたちは、社会や人びとのニーズに応じて、時代とともに変化してきました。
1.飛鳥時代前期
6世紀中ごろ~660年ごろ(仏像史の区分)
できごと
朝鮮半島の百済から仏教が伝来。
仏教の力で国をまとめようとした聖徳太子は、四天王寺や法隆寺などの巨大なお寺を建て、これをきっかけに日本中に仏教が広まります。
このころの仏像
朝鮮半島からの技術を吸収
(仏教伝来とともに)仏像づくりの技術が日本に伝わり、止利仏師らが活躍。
百済からやってきたこの時代の仏像は、朝鮮半島様式の影響を大きく受けています。
そのため、
- 面ながの顔
- 神秘的な表情(アーモンド形の目、アルカイックスマイル)
- 流れるような衣の表現
などの特徴が見られ、木・銅などの材料が使われました。
代表作
- 法隆寺の釈迦三尊像
- 飛鳥寺の釈迦如来坐像[飛鳥大仏]
- 広隆寺の弥勒菩薩半跏像[宝冠弥勒]
2.飛鳥時代後期(白鳳時代)
660年ごろ~709年(仏像史の区分)
できごと
遣唐使の派遣によって、中国の最新技術や知識が日本に伝わります。
中大兄皇子(当時の天皇)らは、政治改革「大化の改新」を行い、天皇を中心とした国づくりを進めました。
このころの仏像
中国のテイストを取り入れる
唐との交流が盛んなこの時代の仏像には、中国の作風の影響が大きく見られます。
そのため、中国・隋時代の様式に
- 頭が大きくて、ずんぐりとした体形
- 子どもっぽい顔立ち(童顔)
などのアレンジを加えた、金銅仏が多くつくられました。
(金銅仏のほかにも)木・粘土などでつくられた像があり、
- どっしりとして張りのある体形
- キリッと引き締まった顔立ち
【中国・唐時代の様式】
などの特徴をもつものもあります。
代表作
- 興福寺の仏頭
- 野中寺の弥勒菩薩半跏像
- 當麻寺の弥勒仏坐像
3.奈良時代(天平時代)
710~783年(仏像史の区分)
できごと
奈良の平城京を中心に、天平文化(中国や西アジアの影響を受けた華やかな文化)が栄えます。
東大寺・西大寺・唐招提寺などの奈良を代表するお寺が誕生し、日本各地に国分寺が建てられました。
国分寺(こくぶんじ)とは
大地震や疫病で混乱した奈良時代(710~794年)、仏教の力で国を守るために聖武天皇が日本各地に建てたお寺
このころの仏像
“日本風”が生まれる
奈良時代の初めごろは、中国・唐の文化がもっとも栄えた時期。
飛鳥時代から続く遣唐使の派遣によって、さらなる中国文化が日本にもたらされました。
仏像にも中国の作風がより濃く表れるようになり、さらに日本独自のアレンジが加えられます。
この時代の像には、飛鳥時代後期の特徴に加えて
などの特徴が見られ、このスタイルは日本の仏像の原型となります。
代表作
- 薬師寺の薬師三尊像
- 興福寺の八部衆立像
- 東大寺の不空羂索観音菩薩立像
4.平安時代前期
784~930年ごろ(仏像史の区分)
できごと
京都の平安京が新たな都として発展。
弘法大師空海によって、日本に「密教」がもたらされました。
密教(みっきょう)とは
仏教とヒンズー教が融合して生まれた、不思議な宗教。
「真言」とよばれる呪文や、「護摩」とよばれる火をたく儀式などが特徴。
大日如来と一体になることによって、人は生きたまま仏になれると説いている(即身成仏)。
このころの仏像
密教の像が盛んにつくられる
密教の広まりとともに、恐ろしい姿をした明王の像が多くつくられました。
密教の影響を大きく受けたこの時代の像には、
- ふっくらとした体形
- 目鼻立ちのくっきりした、厳しい顔立ち
- 大小の波がリズミカルに彫られた、衣の表現(翻波式衣文)
などの特徴が見られます。
木が主な材料として使われるようになり、木に宿る「神秘的な力」を仏像に込めることを目的に、一木造りが盛んになりました。
代表作
- 東寺の五大明王像
- 神護寺の薬師如来立像
- 観心寺の如意輪観音菩薩坐像
5.平安時代後期(藤原時代)
930年ごろ~1184年(仏像史の区分)
できごと
藤原道長らが政治の権力をもつようになり、貴族を中心とした世の中になります。
阿弥陀さまを信じれば極楽に行けるという「浄土信仰」が広まり、日本中で“阿弥陀如来ブーム”が起こりました。
このころの仏像
“日本風”がさらに進化
(平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像をつくったことで知られる)定朝の活躍によって日本の仏像はさらに進化し、
- 背中をわずかに丸めた、自然な姿勢
- 丸みのある穏やかな顔
- 貴族の好みに合わせた、上品で美しい表現
などの新たな作風(定朝様)が生まれます。
また、寄木造りが発明され、巨大な仏像を効率よく制作できるようになりました。
代表作
- 平等院の阿弥陀如来坐像
- 中尊寺の阿弥陀三尊および諸尊像
- 真木大堂の不動明王および二童子立像
6.鎌倉時代
1185~1333年(仏像史の区分)
できごと
源頼朝が鎌倉幕府を開き、武士が中心となって国を動かします。
これまでの国や貴族のための仏教に代わって、新たな宗派(浄土宗・禅宗・日蓮宗など)が次々と誕生し、仏教は庶民にも広く信仰されるようになりました。
このころの仏像
“日本風”がピークを迎える
本物の人間のようにリアルで、繊細かつ動きのある作風(鎌倉新様式)
が生み出され、
- 水晶のレンズをはめた目(玉眼)
- 歯や舌などの、口の中まで彫りこむ技法
- 金属でつくられた装飾品の多用
などの斬新な表現が用いられました。
また、聖徳太子や弘法大師空海などの人間の像も盛んにつくられ、日本の仏像づくりはピークを迎えます。
代表作
- 東大寺・南大門の金剛力士立像
- 興福寺の無著・世親立像
- 安倍文殊院の文殊菩薩騎獅像
7.室町(南北朝)~安土桃山時代
1334~1614年(仏像史の区分)
できごと
鎌倉時代に仏教の一派として誕生した「禅宗」(坐禅によって心を落ち着かせる教え)が、武士の間で大流行。
シンプルさを大切にする禅の教えは日本の美の原点となり、茶道・華道・水墨画・日本庭園・武道などの禅宗文化が栄えました。
このころの仏像
作風に落ち着きが見られる
鎌倉時代の仏像に比べて目立った作品の少ないこの時代の像には
フラットで単調な表現
のものが多く、日本の仏像づくりは落ち着きを見せ始めます。
それでもなお、平安時代や鎌倉時代から続く仏師グループ「院派」「円派」「慶派」は技を受けつぎ、仏像制作を続けました。
代表作
- 方広寺の釈迦三尊像
- 東寺の大日如来坐像
- 金峯山寺の蔵王権現三尊像
8.江戸時代
1615~1867年(仏像史の区分)
できごと
徳川家康が全国を支配し、江戸幕府を開きます。
幕府はキリスト教を禁止し、それぞれの家が強制的にお寺に所属する「檀家制度」によって、国民全員が仏教徒となりました。
このころの仏像
「伝統」と「オリジナリティー」の混在
檀家制度によってお寺と仏像の数が一気に増えますが、このころの人びとが求めたのは今まで見慣れてきた仏像でした。
そのため、この時代の像には
のものが多く見られます。
その一方で、(仏師だけでなく)お坊さんも仏像づくりを行うようになり、
創意工夫をこらした、個性的な作風
の像も盛んにつくられました。
とくに円空・木喰の2人のお坊さんが活躍し、その素朴な作風(円空仏、微笑仏)は庶民に広く親しまれました。
代表作
- 寛永寺の釈迦如来坐像
- 浄真寺の九体阿弥陀如来坐像
- 清源寺の十六羅漢像
解説は、以上です。