無著・世親(むちゃく・せしん)を簡単に
- 無著・世親とは、5世紀ごろに活躍したインドの偉大なお坊さん。
- 人間の心を分析した「唯識論」という思想をまとめ上げた。
- 2人をかたどったリアルな仏像が、興福寺にまつられている。
1.無著・世親とは
無著・世親(むちゃく・せしん)とは、5世紀ごろに活躍したインドの偉大なお坊さん。
(2人は兄弟)
(1)生い立ち~出家
お釈迦さまが亡くなってから約千年たった、5世紀ごろ。
インド北部・ガンダーラのバラモン階級の裕福な家にて、無著と世親は生まれます。
差別的なカースト制度やバラモンの哲学に生きがいを見いだせなかった兄の無著は、親の反対を振り切って17歳で出家しました。
その10年後、年の離れた兄を追いかけるようにして、弟の世親も家を飛び出します。
2人は同じく部派仏教のお坊さんとなりますが、やがて無著はマイトレーヤという名の師匠から大乗仏教を学び、世親にも転向を促しました。
部派(ぶは)仏教とは
「さとり」(大いなる気づきの心)を得て聖者になることを目的とした、仏教の2大ジャンルの一つ。
出家したお坊さんがお寺にこもり、仏教の研究や修行に没頭する。
「民衆を置き去りにして、自分たちだけが満足している」と批判されることも。
大乗(だいじょう)仏教とは
「自分が悟るだけでなく、皆で一緒に幸せになろう」と考える、仏教の2大ジャンルの一つ。
お坊さんは、人びとを教え導くことに力を注ぐ。
民衆一人ひとりが菩薩となって自分なりに修行し、仏に向かって歩み続ける。
初めは大乗仏教に批判的だった世親も、無著の熱心な導きに心を動かされ、大乗仏教のお坊さんへと転身します。
(2)唯識の思想
かつてマイトレーヤ師匠から「瑜伽論」とよばれる大乗仏教の哲学を学んだ無著は、世親にもこの教えを授けました。
ある日、世親が瑜伽論の修行に励んでいたところ、稲妻のようなインスピレーションとともに、体の奥深くに“万物を生み出すいのちの源”を感じたのです。
この体験がきっかけで、2人は瑜伽論をベースにした「唯識論(ゆいしきろん)」という思想をまとめ上げ、大乗仏教の偉大なお坊さんとして知られるようになります。
唯識論においては、私たち人間の心身のはたらきは
- 眼識
・・・目で見る感覚 - 耳識
・・・耳で聞く感覚 - 鼻識
・・・鼻で嗅ぐ感覚 - 舌識
・・・舌で味わう感覚 - 身識
・・・体で触れる感覚 - 意識
・・・物事を認識する心のはたらき - マナ識
・・・煩悩(欲望や迷いの心)を生み出す心の領域 - アーラヤ識
・・・いのちの源となる、もっとも深い心の領域
という8つの領域からなると説いています。
人間の心身のはたらきを「氷山」に例えるならば、第1層から第6層の五官および意識は、目に見える氷山のてっぺんの部分。
私たちが気づくことのできる、感覚的・知覚的な心身のはたらき(=表層意識)です。
一方、表層意識の底に広がる第7層・第8層は、海に隠れた氷山の目に見えない部分。
心の衝動や生命エネルギーなどを含んだ、私たちが気づくことのできない深い心の領域(=潜在意識)です。
五官の楽しみだけを追い求める生き方を捨て、唯識の修業によって「さとり」のレベルに達すれば、煩悩という苦しみは消滅するといいます。
無著と世親は、このような複雑な人間の心の分析をとおして
私たちを取り巻く環境のすべては、心が勝手につくり出した幻のようなもの。
楽しく生きるのも恨んで生きるのも自分次第であり、あなたは無限の可能性を秘めた“人生の主人公”である。
という「何にもとらわれない のびやかな生き方」を、私たちに伝えています。
人気のエクササイズである「ヨガ」は、じつは瑜伽論の修行法の一つ。
そう考えると、唯識の思想がぐっと身近に感じられますね。
(3)後世への影響
7世紀ごろ、『西遊記』でおなじみの玄奘というお坊さんが、唯識論を中国にもたらしました。
西遊記(さいゆうき)とは
中国のお坊さんである三蔵法師(玄奘)が、孫悟空・猪八戒・沙悟浄とともに砂漠を超えてインドへ渡り、命がけでたくさんのお経を持ち帰るという壮大な冒険ストーリー
その後、玄奘の弟子が、唯識論をもとにして法相宗(ほっそうしゅう)という宗派を開宗。
これが日本にも伝わり、奈良の都に興福寺や薬師寺などの法相宗のお寺が建てられました。
2.姿かたち
法相宗の大本山である興福寺には、(弥勒如来像の両サイドに)無著と世親をかたどった仏像がまつられています。
無著・世親像の特徴
向かって右に兄の無著、向かって左に弟の世親が立っています。
無著像は老人のお坊さんの姿をしており、優しい目つきでこちらを見つめています。
布で包まれた箱のようなものを両手で抱え、その中身は宝塔であると考えられています。
一方、世親像は中年のお坊さんの姿をしており、おでこにしわを寄せ、遠くを見つめています。
持ち物はありませんが、手の構え方からして、無著像と同じように何かを抱えていたと推測されます。
興福寺の無著・世親像は、天才仏師「運慶」の最高傑作。
今にも動き出しそうなほどに、リアルにつくり上げられています。